書評/映画評

『ナミビアの砂漠』を 精神科医が解説してみた

『ナミビアの砂漠』を
精神科医が徹底解説してみた!

『ナミビアの砂漠』を見ました。

2024年カンヌ国際映画祭の監督週間で
国際映画批評家連盟賞を受賞した作品。
ということで、楽しみにしていました。

既に映画を見た人から
「わからない」「わかりづらい」という
感想も聞いていたので、
精神科医の私が、
精神医学的な視点から、徹底解説してみます。

今映画を見終わった直後です。
ネット検索などせずに、
他人の意見などは無視して、
自分の独自の考察だけで、
どこまで作品を明らかにできるのか、
試してみようと思います。

ということで、以下は「ネタバレ」。
ストーリーについて、
詳細に書いていきます。

▽ ▽ ▽ ネタバレ ここから ▽ ▽ ▽

主人公のカナが、ナミビアの砂漠に行く
話かと思いきや、全く違いました(笑)。

彼女の「心の砂漠」を、
淡々と描いています。

全くの予備情報ゼロで見たので、
メンタルどストレートの話で驚きました!

まず冒頭のシーン。
友人とカフェで会っておしゃべり。

「同級生が自殺した」という話を聞いて、
何の心理反応を示さなかったのが、
「ヤバいな!」と思いました。

共感性ゼロ!!

「えっ?」とか「うっそー」とか、
何か驚きを表現するのが普通。

何の心理反応もなく、
むしろ「死」を無視するかのように。
スマホを見ているのです。

この共感性のなさは、
かなり心に闇を抱えているな・・・
と思いました。

しかし最初は、今どきの若者の
「生きづらさ」を表しているか
とも思いました。

しかしその後、
カナのすさんだ生活が、
たたみかけるように描かれます。

♯とにかく、暇があればタバコを吸う
♯ホスト遊び
♯アルコール濫用
♯男は二股(性的奔放?)
♯鼻ピアス
♯家の中が汚い

自暴自棄になっているようにも見えます。

しかし、この時点では、
生きづらさをかかえ、
すさんだ生活をしている若い女性。
という理解でしょうか。

同棲している恋人ホンダは、
食事を作ってくれたり、
彼女に尽くしてくれる。
とても優しい男性。

一見良さそうですが、
物足りなさを感じたのか、
別な男、自信家のクリエーター、ハヤシと
二股をかけていました。

ホンダの家を出て、
ハヤシと同棲を始めます。

ホンダと別れようと思った理由は、
何の説明もありませんが、
最後までみるとわかります。

ハヤシは家で仕事をしているので、
1日中、一緒にいるので、
互いにストレスがたまります。

最初はよかったものの、
互いにイライラしはじめて、
喧嘩も増えてきます。

ハヤシの元カノが妊娠して中絶していた!
婦人科で撮ったエコー写真を、
引っ越しの時に見つけたカナは、
気付いていたものの、
喧嘩したときに、
はじめてそれをハヤシにぶつけて、
大喧嘩に・・・。

それまでも、イライラが増えている。
切れやすいなどの描写が、
徐々にエスカレートして予兆はありました。

カナ役の河合優実が、
その辺の細かな心理的変化を、
見事に演じていました。

カナ自身、自分が普通でないと感じたのか、
精神科のオンライン診療を受けます。

そこで、登場する精神科医が、
チャランポランで、実に残念(笑)。

診断は、
「双極症かもしれないし、
境界型パーソナリティ障害かもしれない」
とザックリしたもの。

映画としては、
ここで重要なヒントが隠されていました。

私は、思いました。

「ああそうか・・・、
境界型パーソナリティ症なんだ」と。

しかし、
境界型パーソナリティ症と診断するには、
症状が十分にそろっていないのです。

心理士のカウンセリングを受け始めるカナ。

またまた、ハヤシと喧嘩するカナ。

その最中、画面の右上に出るワイプ。
ピンクの部屋で、
ウォーキングマシンで歩きながら、
スマホで、自分とハヤシの喧嘩を
他人事のように眺めるカナ。

多分、多くの人は、このシーンの意味が
わからなかったのでしょう。

「現実ではない」ことは、わかったと思います。
インサイド・ヘッド。
カナの頭の中を映像化したものでしょう。

これは、「解離症状」の映像化です。

解離には、いろいろな種類がありますが、
幽体離脱したように、自分の姿を
カメラで見るような体験は、
よく報告されます。

アリ・アスター監督の『ボーはおそれている』
でも、「解離」が重要なシーンで使われていました。

虐待された子どもが、
解離状態になると、人ごとのように感じられるため、
心の痛みを緩和する効果があるようです。

そして、ラストまじか。

ハヤシとカナの食事中に、
中国にいるカナの母親から、
テレビ電話がかかってきます。

ここで、全ての伏線がつながります。

母親は日本語で話しますが、
親戚はみんな中国人です。

彼女は、学生の頃、
中国から日本にわたった、という話を思い出します、

つまり、帰国子女です。

海外から日本に戻った帰国子女が、
アイデンティティの障害に陥ることは、
非常に良くあります。

自分は、日本人なのか? 
中国人なのか?

どちらでもないので、
自分の「居場所」がないのです。

それが、彼女の「生きづらさ」の理由です。

そして、伏線があったことに気付きます。
カナがハヤシの家族と一緒に
バーベキューをするシーンです。

ハヤシの両親が来て、
昔、日本から、
ニューヨークから戻ってきた。

その時に、ハヤシを
「インター(ナショナルスクール)に入れたかった」
というセリフです。

ハヤシは、普通の高校に行ったわけです。
都庁前で、ハヤシとカナが、
官僚になったハヤシの高校、大学の同級生と
会うシーンは、意外と重要です。

「今度飲みに行こうぜ」と言って別れます。
完全に、日本人のノリです。

ハヤシは、日本語で脚本を書くくらいですから、
完全に日本に順応して、
日本人のアイデンティティで生きています。

もしハヤシが、ニューヨークから帰国後、
インターナショナルスクールに入っていたら、
そうはならなかった。

今のように、うまく日本人としての
アイデンティティを獲得して、
日本の社会に溶け込めたか・・・は不明です。

しかし、
帰国子女のアイデンティティの問題だけで、
境界型パーソナリティ症にはなりません。

何か、もっと昔に、
別な要素がないと・・・。

一つは、
「中絶」のトラウマは影響しているでしょう。

ホンダとの間にできた子どもを中絶したカナ。
新しい恋人のハヤシもまた、
元カノとの子どもを中絶していた!

中絶の心理的ショックが蘇り、
ブチ切れたのは当然です。

しかしながら、
冒頭から描かれていた、
空虚感にあふれた、自暴自棄な生き方は、
それらを十分には、説明しないのです。

では、カナに何があったのか?

パーソナリティ症の発症には、
幼少期の体験が大きく影響していることが多い。

それを知った上で、本作を振り返ると、
いくつかの伏線が見えてくるのです。

カウンセラーが言います。
なぜ、「ロリコンの例を出したのですか?」

私は、このセリフにドキッとしました!
ああ、そういうことか・・・と。

カナは、適当なことを言って、言い逃れます。

心理学的に、
なにがしかの意味があるから、
カウンセラーはそこをついたのです。

オンライン診療のちゃらんぽらんな精神科医は、
最後の方で言いました。
「家族関係で、気になる点があるんですが・・・」
これも伏線です。

女性カウンセラーとの会話で、
父親について話すシーンがありました。

リスペクトできるとか、できないとか、
そんな言葉をカナは述べていましたが、
意味が分からないのです。

本作ては、父親の説明が全くないのです。
正体不明。。
カナは、母親については語りましたが、
父親については「あいまい」です。

なぜでしょうか?
語りたくないから・・・。
語れないから・・・。

ロリコンは、誰なのでしょうか?

カナの父親以外には、考えられません。

解離症状は、
幼少期に虐待を受けていた人に、
よく見られる症状です。

これをふまえて考えると、
カナの幼少期は、
どんなものだったのでしょうか。

父親から性的虐待を受けていた。
と考えるのが、妥当でしょう。

それを受けての、性的奔放です。

心理学的には、
そのような結論になります。

そうした幼少期のトラウマを基盤に、
日本に移り住んでからのアイデンティティの問題。

そして、「中絶」のトラウマを
思い出したショックもあり、
境界型パーソナリティ症が顕在化した。
と精神科医の私は、考えます。

診断は何ですか?
オンラインの精神科医に、カナは詰め寄ります。

カナの診断は何だったのか?
私もオンラインの精神科医と同様に、
診断は重要ではないと思うのですが、
映画を見た方は、診断名が気になるでしょう。

性的奔放。過度のアルコール濫用。
自暴自棄的な行為を繰り返す。
あるいは、衝動的な行為を繰り返すことは、
BPD(境界型パーソナリティ症)によくみられます。

感情のブレーキが効かず、
ちょっとしたことで癇癪を起こしたり、
激しく怒り、傷つきやすい。

いつも空虚な気持ちを抱き、
幸せを感じにくい。

生きることに対して辛さや違和感を持ち、
自分が何者であるかわからない感覚
を抱いている。

いずれも、
BPDの診断基準に、当てはまる症状です。

これを境界型パーソナリティ症と
診断するのか?

私なら、可能性は高いけども、
症状が悪化してきたのは最近のことなので、
患者さんには、伝えないと思います。

パーソナリティ症というのは、
「性格傾向」と切り離せないので、
そう簡単によくなるものではありません。

しかし、カナの場合は、
まだまだ良くなる可能性が残されている・・・
そんな希望を、私は感じました。

映画の最後、
多分「ナミビアの砂漠」と思われる水場に
動物が集まっている映像がうつります。

映画前半で、宅急便が来たときに
カナが見ていた映像と同じでした。

これを見て思い出します。
カウンセラーとの箱庭療法。

砂漠の真ん中に、カナが置いたのは
・・・緑豊かな、一本の樹木です。

彼女が求めていた、
砂漠の真ん中にある樹木(or 水場)は、
何を象徴していたのでしょう?

少し考えて
答えが分かった方は、以下を読んでください。




箱庭の真ん中においた、
幹が太いどっしりとした樹木。

それは、「父性」でしょう。

カナが求めていたのは、父性。

頼りがいのある男性像。

だから、力強さが全くない
「優しい」だけがとりえのホンダに、
カナは物足りなさを感じたのです。

ハヤシに父性を求めたものの、
感情的になるハヤシ。
カナの父性は満たされなかった。

そこが、
彼女を精神的に不安にした。
最大の理由です。

ということで、
前半の全ての描写が
精緻な伏線として張られており、
全てが後半で回収されていく・・・という。

非常に骨太でマニアックな作品です。

パーソナリティ症の
「理解されない苛立ち、苦しみ」が、
本作を見ることで、
ちょっとでも理解出来たとしたなら、
本作はもの凄い価値ある作品と思います。

一般集団の約10%が、なにがしかの
パーソナリティ症と言われます。

境界型以外にも、いろいろな種類の
パーソナリティ症があります。
 
あるいは、パーソナリティ症は別な
病気と併存するので、
病院、診療所の精神科患者の最大半数が
パーソナリティ症を有している、
とも言われます。
 
あなたの周りにも必ずいます。
人ごとではないのです。
 
そんな精神医学の闇の部分に
スポットを当てた本作が、
カンヌ映画祭で評価されたのも納得です。

追記1

以上の投稿をXにしたら、
以下の内容の反論をいただきました。

カナは、妊娠中絶していない。
ホンダには、「出張中に手術した」
と言うが、札幌への出張中には、
手術はしていなかった。

なので、カナは妊娠中絶したと
ウソを言ったにすぎない。

「(札幌の)出張中に手術した」
というのは、確かにウソでした。

しかし、カナは、
以前に妊娠中絶を経験しているはずです。
  
カナは、引っ越しのハヤシの荷物の中から、
白黒の写真を見つけます。
彼女は、それが一瞬で何かわかったようです。
 
あなたは、映画を見ていてわかりましたか?

それは、産科で撮影するエコーの写真であり、 
ハヤシが元カノを中絶させていた証拠だと。
 
私は医者だから、一瞬でわかりましたが、
普通の人は、この白黒の写真を見ても何か
わからないのではないでしょうか?
 
カナは、以前にも見たことがある(自分の写真)
ので、一瞬で気付いたのです。
 
あと、冒頭で泥酔したカナが、
ホンダから錠剤をもらい飲んでいます。
小声で「ピル飲まないと」とホンダが言っています。
このシーンは、かなり意外でした。

なぜ、でしょう?
理由があるはずです。

それは、カナが妊娠しやすい体質だから。
また過去に、妊娠して中絶した経験が
あるから・・・ではないですか?

PMS(月経前症候群)や子宮内膜症
だったのでしょうか?
違うと思います。

あと、冒頭の
バーベキューのシーンで妊婦の女性が
出てきます。

カナは、聞きます。
妊娠、何ヶ月ですか?
8ヶ月です。
 
カナの口調が、意味深です。
というか、妊娠、8、9ヶ月だって、
誰が見てもわかりますよね?
 
彼女が、「妊娠」「出産」に関して、
特別な感情を抱いていたことは間違い
ないのです。

そして、ハヤシにエコー写真をつきつける
シーンでは、あり得ないほど「激昂」しています。

自分に中絶の経験が全くなければ、
ここまでブチ切れることは、ないでしょう。

中絶させておいて、
無責任な態度。

彼女の「心の闇」の琴線に触れたので、
激昂したはずです。
 
ということで、
カナが妊娠中絶していない、とするならば、
♯冒頭のピルを飲むシーン。
♯妊娠8ヶ月の女性
の二つの描写が、全く説明できません。

追記2

ラストシーンが、尻切れトンボのように
終わってしまった・・・と思う人もいるでしようが、
私はこのシーン、結構好きです。

カナとハヤシが、食卓テーブルで、
正面に向き会ってご飯を食べています。

カナが人と、正面に向き会って話をするのは、

それまでに冒頭のカフェのシーン、
カウンセラーとのカウンセリングシーン
しかないのです。

冒頭のカフェのシーンでは、
ずっとスマホを触っており、
真剣に友人と向き会っていません。

常に彼女は、人の横に座ったり、
人とガチで話すのを避けています。

バーベキューのシーンでも、
さりげなく、イスを変わったりしている。

ハヤシと話す時は、常に後ろからです。

人と正面から向き会わない。
というのが、カナの特徴です。

でも、
カウンセラーとは、しっかり向き会っていた。

そして、
ハヤシとも「向き合える」ようになった。

病気が回復する兆し。
ポジティブなサインを、このラストシーンに
見いだすことができるのです。

『ナミビアの砂漠』樺沢の評価は・・・・・・★★★★☆ (4・6)

『ナミビアの砂漠』の予告編は
コチラから

https://youtu.be/1ON52PRB8Tc

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コメント

  1. あみこ より:

    昨日映画をみて共感した部分。最近の心療内科通院、ふと突然涙が止まらなくなり不安になる かたや、怒りや焦り。
    昔の中絶経験をした 同級生の記憶。
    昔ピルをのんで、避妊目的で使用 結果異性に対して 奔放になり性に対しても 軽くなり。
    何となく昔の自分と重なりました。お酒の飲み方も、あんな感じで自暴自棄でした、タバコも。

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