ディズニー映画。
私は、基本的にあまり好きではないのですが(笑)、
いろいろな意味で見ごたえがあります。
なぜならば、
ディズニー映画は、膨大な予算と時間をかけて、
緻密にストーリーやキャラクターを構築しているからです。
そうした作業に何年もかけている場合もあります。
なぜならば、ディズニー映画は、
映画だけで収入を得るだけではなく、
『アラジン』や『リトルマーメイド』のように
ミュージカル舞台化したり、
楽曲を販売したり、キャラクター商品を販売したり、
ディズニーランドのアトラクションになったりと、
多面展開していくビジネス戦略を持っているからです。
そのためには、たくさんの人から「愛されるキャラ」、
多くの観客が共感、感動するストーリーが必須です。
そのために、
どんなキャラクータやストーリーが好まれるのか。
あるいは、ストーリーのプロトタイプを読んでもらって
市場調査やアンケートをとったり、という
普通の映画ではやらない、膨大な手間暇をかけています。
だから、「失敗しない」鉄板映画ができるのです。
今回見た、『モアナと伝説の海』も、またそんな作品。
明らかにミュージカル(舞台化)を強く意識しており、
そのまま舞台化された情景が目に浮かぶほどです。
ディズニー映画で描かれるテーマは、
社会に共感されるテーマであると同時に、
ディズニーの「こうなって欲しい」という
誘導的な要素も入っています。
その部分が、私としては鼻につくので、
基本的にディズニー映画はあまり好きではありません(笑)。
今回の『モアナ』は、『アナと雪の女王』と同様に、
女性が主人公で、女性の自立が描かれています。
サンゴ礁でかこまれた安全な島から、
危険が一杯の外海へと船出していくモアナ。
「サンゴ礁からの船出」は、
「厳しい社会への船出」の比喩になっています。
次々とふりかかる苦難に、ときには挫折し、
挫けそうになりながらも、必死に目的を達成しようとするモアナ。
女性が社会に進出する時代であり、
そうした女性たちが共感し、
応援したくなるテーマが盛り込まれています。
では、この映画において男性像は、
どのように描かれていたのか?
ザックリ言えば、「父性不在」です。
モアナと冒険をともにする半神半人のマウイ。
見かけは、筋骨隆々、チョーマッチョでありながら、
かなり気弱で、自己中心的。
「ヒーローになりたい」マウイは、ヒーロー未満。
むしろ、子供的ですらあります。
心理学では、マウイは道化(トリックスター)の特徴を備えています。
シェイプシフター(形を変える存在)というのは、
トリックスターの典型的な一型であります。
マウイは、モアナの精神的な支柱(父性)にはなっていないし、
むしろマウイの危機を、モアナが何度も救うのです。
この映画において、力強い男性像(父性)は登場しない、
もしそれが存在するとするのなら、
一番ありえるのは、
父性は「モアナ自身の中にある」という答えでしょう。
モアナがリードして、マウイがサポートする関係性。
現代の夫婦関係を象徴するようであり、
だからこそ多くの人の共感を呼んでいるのかもしれません。
ちなみに、『アナ雪』における父性も、
全く同じ構造になっています。
考えてみると、最近の映画、日米に関係なく、
女性が冒険する作品が多いのです。
大ヒットした『君の名は』、
最近、公開された『ひるね姫』もそうですね。
女性が活躍する時代の女性の冒険譚が求められている。
ということなのでしょう。
実際、日本では映画館で映画を見るのは、
圧倒的に女性ですし。
とまあ、少々難しいテーマについて語ってみましたが、
映像がきれいで、海の青の美しさに心を奪われます。
CGの技術的進歩を改めて実感します。
ハワイアンダンスの動きのナチュラルさも、スゴイです、
映像が美しい。
子供が見ても、楽しめるシンプルなストーリー。
それでいて、細かい部分もよくできていて、
大人が見ても、というか大人の方がより、
共感、感情移入して感動する作品になっている。
よくできた映画だと思います。
私は、映画を見るとすぐに泣きます。
『シング』を見たときは、3回以上は泣きました。
しかしながら、『モアナ』では泣けなかった。
感動したものの、泣く直前くらいまではいくのですが
涙が流れない。
私の、隣の女性は号泣していたので、ふと思いましたが、
女性の方が共感しやすい映画なのでしょう。
『アナ雪』もそうなのですが、
やはり『モアナ』も「女性」をターゲットにして作られているのです。
そう思って劇場を出てたら、
無意識に主題歌を口ずさんでいた!!
『ラ・ラ・ランド』もそうですが、
主題歌を口ずさみたくなる映画はいい映画なのです、
ということで、
「いいミュージカル、見たな」という感じで、
十分に楽しませていただきました。