東京都美術館で開催中の
「クリムト展 ウィーンと日本1900」
を見てきました。
クリムトの代表作「ユディト1」をはじめとして、
よくこれだけの作品を集めたな・・・というのが最初の感想。
個人収蔵の作品も多いので、仮にウィーンに足を運んでも、
これらの一部しか見ることはできません。
また、
ウィーンの分離派会館の全長34メートルを超える壁画
「ベートーベン・フリーズ」を原寸大で再現。
複製ではありますが、超ど迫力で、
見た瞬間、背筋がゾクッゾクッとしました。
さて、クリムトを精神医学的にみるとどうなるのか?
多くの芸術家は、心を病んでいる。
あるいはそうした精神的な苦しみを乗り越えた人がほとんど。
クリムトの作品は、非常に美しく、
ドロドロとしたものは描かれていないように思えますが、
どうでしょ?
クリムトは、30歳のときに、父と弟を立て続けに亡くします。
特に弟は、同じ工芸学校に通い、一緒に美術作品を製作してきた
クリムトの右腕のような存在。
20代の頃から、ブルク劇場や美術史美術館の装飾など大きな仕事を
受注していたクリムトは、
芸術家として順風満帆な人生を歩んでいましたが、
父親の死に続き、そんな大切な弟を失ったことで、
非常に大きな精神的なショックを受けたでしょう。
また、自分も父親のように若くしてなくなるのではないか、
という死の恐怖を感じたかもしれません。
クリムトの母親は、夫と息子の死に耐えられず、
「うつ」を患ったと言います。
また、姉も精神疾患を患っていたようです。
また、それから10年後、クリムトは生後80日で
息子を亡くします。その幼い「息子」の亡骸を描いた作品も
展示されていましたが、その写実的でリアルなデッサンから
彼の深い苦しみが伝わってきました。
クリムト作品のモチーフのほとんどは、「女性」です。
妖艶で官能的な女性を描き続け、
男性単独の作品は非常に少ない。
実際、クリムトの女性遍歴も華やかで、生涯独身を貫くものの、
少なくとも14人の子供がいたことが確認されています。
クリムトは言います。
「自分のことには興味がない。女性にしか興味がない」
画家であれば、自分の自画像が何点もあるのが普通ですが、
クリムトは自画像を描かないことで有名でした。
自画像を描かないことに対する彼のコメントが、
「自分のことには興味がない。女性にしか興味がない」という言葉です。
この言葉に、私はかなりの違和感を持ちます。
絵を描くというのは、「自己探求」の一つの方法だから。
自分の目を通して見たものを描くのが、絵画です。
「自分に興味がない」という言葉は、
芸術家としての存在を自己否定しているかのように思えます。
なぜ、クリムトは女性を描き続けたのか?
私には、「逃避」にしか思えません。
「逃避」というのは、心の「防衛機制」の一つです。
精神的に苦しいことがあった場合に、
心が壊れないよう防衛する方法が「防衛機制」。 その一つが「逃避」です。
父、弟、息子の「死」の悲しみ、苦しみから逃げるように、
女性に傾倒していったのではないでしょうか。
「性」は「生」に通じます。
性行為によって、新しい命が誕生する。
クリムトの官能的な女性像は、「生」の象徴そのものです。
実際に、14人も子供がいたということは、
彼自身が「性」に溺れながら、
作品製作を続けていたことを示すでしょう。
クリムトの代表作でもある「ユディト1」。
そこにも「性」と「死」が描かれています。
画像は、「クリムト展」公式ページから見られます。
https://klimt2019.jp/works.html
妖艶で官能的、恍惚として表情の女性。
しかし、彼女は手、男性の「生首」を持っているのです。
この男性の生首。
よく見ないとわからないように、画面右下にさりげなく描かれている。
上半分を見ただけでは、彼女が生首を持っているようには全く見えない。
「死」のイメージが、妖艶な女性によって隠されているのです。
まさに、クリムトの生き方を象徴するような作品です。
クリムトの後半生の代表作とも言われる
赤子、若い女性、老女を同時に描いた『女の三世代』(1905年)は、
生、老、死といった「生の循環」が描かれます。
あるいは『家族』(1909-1910年)という作品には、母と二人の子供。
顔だけが白く浮かび上がり、あとはほとんど真っ黒です。
圧倒的な「死」のイメージの中で、
心ぼそく輝く「生」のイメージ。
40歳を超えて、「死」を意識するようになったのか、
作品の中に「死」のイメージが強烈に
登場するようになっていきます。
クリムトは、病気ではないでしょうが、
家族の「死」の悲しみ、恐怖から逃れるべく
女性に傾倒し、「性」を描き、
絵画の世界で、今までになかった女性像を作り上げたと言います。
「苦しみ」や「悲しみ」というものは、
必ずしも「悪」ではなく、
そこを乗り越えたり、克服したり、抗ったりすることで、
人は成長し、多くのものを生み出すことができるのです。
「苦しみ」は、短所ではなく、
「自己成長の糧」なのです。
クリムトも「父」「弟」や「幼い息子」の死の「苦しみ」
「悲しみ」 に打ちのめされ、無気力になるのではなく、
むしろそれを「心の糧」にできたからこそ、
素晴らしい作品を残すことができたのだと思います。
「苦しみ」や「悲しみ」を自分の重荷にするのか、
それを自己成長のエネルギーにするのか。
それは、自分次第です。
追伸
7月10日まで開催中 (上野・東京都美術館)
「クリムト展 ウィーンと日本1900」
https://klimt2019.jp/
【全動画プレゼント】
あなたの悩みの95%は解決する。
YouTube「樺チャンネル」の全動画1500本のリストをプレゼント中。
今すぐダウンロードしてください。
https://canyon-ex.jp/fx2334/z6j0NW