書評/映画評

樺沢のゴッホ論  ~『永遠の門 ゴッホの見た未来』を通して

上野の森美術館で開催中の「ゴッホ展」の予習がてら、
映画『永遠の門 ゴッホの見た未来』を見てきました。

既に1日1回上映。
日中に映画を見ない私としては、
珍しく11時30分からの回を鑑賞しました。

先日、オランダ、アムステルダムの
ファン・ゴッホ美術館にも行ってきましたし、
ゴッホは精神を病んでいたということもあり、
私が非常に興味を持っている「画家」の一人であります。

そんなゴッホ・ウォッチャーの私から見ると、
本作は間違いなく「攻めている」ゴッホ解釈を呈示している一方で、
ゴッホ研究者や熱心なゴッホファンからは、批判が出そうです。

■ ゴッホ自殺説を否定!?

ゴッホの死は自殺というのが定説ですが、
本作では、それに対して疑いの視点で描かれています。
自殺ではない可能性もあるのではないか・・・と。

そういえば、ゴッホの筆致を模したアニメーション
『ゴッホ~最期の手紙~』という作品も、
ゴッホの死の謎に迫るというものでした。

確かに、
ゴッホ最後の作品といわれる『カラスのいる麦畑』。

先日、アムステルダムのファン・ゴッホ美術館で、
この『カラスのいる麦畑』の実物を鑑賞しましたが、
非常に不気味で、背筋がゾッとする「精神的に病んでいる」
ことを疑わせる作品でありました。

(ちなみに、ゴッホ最後の作品は、別にあるそうで
その作品も展示されていました)

一方で、彼が死の間際にいた「オーヴェル」で描いた他の作品は、
明るい雰囲気の作品が多いというのも事実です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/カラスのいる麦畑

これは、サン・レミの療養所を退院したゴッホが、
作品への意欲を取り戻したようにも思えます。

そして、その矢先の「死」。

新たな出発をしようとしていたゴッホが、
そのタイミングで自殺するのか? という、指摘も
それなりに説得力があります。

ゴッホは、自分の耳をカミソリで切り落としてしまうほどの
「衝動性」を持っていますから、
本当に自殺したいと思ったのなら、お腹を撃つのではなく、
頭を撃つでしょう。あるいは、銃が急所をはずしたのなら、
もう一発撃ではない。

単純に「自殺」で納得いかない部分もあるのは事実です。

本作では、具体的に、
そうした細かい議論がされるわけではありません。

■ 昔の精神科治療は?

起承転結のわかりやすいドラマとして、
ゴッホの生涯を描いていません。

アルルで過ごしたゴーギャンとの蜜月の日々と破綻を軸に、
ゴッホの死までを描くわけですが、
ゴッホについて、ある程度の予備知識を持っていないと
わけがわからないのではないか、という気もしました。

映画としては、そんな説明不足な部分を持ちながらも、
ゴッホを見たであろう風景を、映像的に再現し、
アルルの風景や「黄色い部屋」をビジュアルとして
体験させてくれた点は、非常にワクワクするのです。

サン・レミの療養所「サン・ポール」の描写は、
精神科医として、非常に興味深いものがありました。

当時の精神医療とは、どういうものなのか?

ゴッホと担当の精神科医との面談シーンも、
かなり長尺で描かれています。

外を散歩するのに、
拘束衣を着せられていのにはビックリ!
(歴史的に本当なのか?)

そして、本作のクライマックスとも言えるのが、
療養院の責任者らしい「聖職者」とゴッホとの対話。

(絵が一枚も売れていないのに)
なぜ自分は画家と言えるのか?

(こんな稚拙な絵しか書けないのに)
なぜ自分に「描く」才能があるといえるのか?

自分の「病気」は、絵を描くために、プラスになったのか?

ゴッホの痛いところを、聖職者は鋭く指摘していきます。

あるいは、「全くの無名で画家と言えるのか?」
との聖職者の問に
「イエスも最初は無名でした」と、
聖職者(いや、クリスチャンの観客たちが)
もっとも嫌がるような質問で応酬するのです。

■ 時代を先取りしすぎる男

当時としては、斬新すぎる作品。
時代を先取りしすぎた画家ゴッホ。

それでも、「描く」ことをあきらめない。
「描く」ことへの意欲。情熱。いや、執念。

ゴッホ自身は、自分の才能を信じ、
いつか自分の作品が評価される日が来るのを信じていた!

それが、「ゴッホの見た未来」というサブタイトルに
反映されています。

私、樺沢紫苑も、「時代を先取りしすぎる男」なので、
ゴッホのこれらの描写には、強く共感するのです。

10年前から、「自分も必ず作家として認められる日が来る!」
と確信して、本を書き続けてきましたから。

ちなみに、『アウトプット大全』の元となる企画は、
2010年に某出版社の企画会議でボツになりました。

それが8年後、ようやく時代が追いつき、
「アウトプット」に対する理解が広がった2018年に
『アウトプット大全』として出版され、
50万部の大ベストセラーになったという。

ちなみに、私の場合、時代を先取りしすぎたせいで売れなかった。
3~5年後に再販されてベストセラーになった本が、
本に3冊もあります。

私の場合は、時代を5~10年ほど先取りしている程度なので、
なんとか最近では、時代の方が追いついてくれて、
本も売れるようになってきました(笑)。

ゴッホは、37歳で亡くなっていますが、
画家として活躍したのは、わずか10年です。

画家の世界、10年で日の目を見ない画家はたくさんいたことでしよう。
「もう少し、自殺しないで頑張ってもよかったんじゃないの」と
以前から思っていたのですが、
本作では「本人は画家としてまだまだ頑張るつもりだった」
かのように描かれている点は、興味深いです。

■ ゴッホの精神病をめぐる議論

ゴッホは精神を病んでいたことは事実です。

ではどんな病気だったのかというと、
大きくわけて「てんかん」説と「統合失調症」説があります。

古典的な解釈では、(ゴッホの主治医の診断もあり)、
長く「てんかん」説が言われていましたが
近年では「統合失調症」説を主張する精神科医が多いです。

本作では、たびたび意識が不明となり、記憶があいまいという
ゴッホの言葉から、古典的な「てんかん」説で描かれているように見えます。

本作を見るとわかりやすいのですが、
ゴッホという人は、もの凄いコミュニケーション下手です。

そのせいで、本作でも、
彼は強烈な「孤独」、
あるいは「疎外感」を味わうことになります。

人と上手に関係性を構築することができない。
誰から見ても行動の奇異なところなどが、
統合失調症的に見えるのです。

ゴッホがなくなったのは、1890年。
エミール・クレペリンの教科書に
早発性痴呆(現在の統合失調症)が追加されたのは1893年ですから、
当時は「統合失調症」の疾患概念が確定してなかったので、
当時の主治医は、「統合失調症」と診断しようがない、とも言えます。

■ ゴッホの精神病と創造性

それはそれとして、本作では「病名」よりも、
精神病が、彼の創造性。
作品を描くことに、プラスになったのか、
マイナスだったのかが問われています。

これは、かなりタブーの質問だと思います。

精神医学的にみて、精神病とその創作活動、出来上がった作品が、
無関係であるはずがないのです。

しかしながら、
アムステルダムのファン・ゴッホ美術館の展示では、
彼の病気に対する説明はほとんどなく、
展示の最後の方で、
ゴッホの代表作は、病気の症状がない時期に描かれており、
彼の病気と作品は関係ない、ときっぱり名言してるのでした。

ゴッホの精神病の部分は、「タブー」である。
詳しく語ってくれるな、という雰囲気です。

ゴッホの作品は、彼の死後、弟のテオが相続し、
そのコレクションは、息子のフィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ
(ゴッホの甥)に相続されました。

そのコレクションを元に創立されたのが、
ファン・ゴッホ美術館なので、ゴッホの親戚として、
「親戚に精神病者がいる」というのは、
あまり語られたくない事実として、封印されたのでしょう。

■ 精神病と天才は紙一重

メンタル疾患というのは、「恥」ではないのです。
歴史的に有名な画家、小説家など芸術家、
あるいは有名な歴史上の人物に精神病者は間違いなく多いです。

精神病者は、
「おかしなことを言う」=「他人と違うことを考えつく」
「他人と全く違う視点を持つことができる」
ので、「短所」でもあり、「長所」でもある。

また精神病者は、はかりしれないエネルギーを持っているので、
「他人と全く違う視点を持つことができる」長所と掛け合わさったとき
歴史に残る芸術作品を生み出したり、
歴史を変えるような出来事を起こすことができるのです。

精神病と天才は紙一重。
というか、「天才」と呼ばれる歴史上の人物は、
かなりの割合で精神病か、そのグレーゾーンです。

ゴッホの生涯は、今まで何度も映画化されていますが、
サン・レミの療養所の入所中の様子を精緻に描いたり、
ゴッホの「病」の部分をここまで詳しく描いた作品というのは、
なかったはずです。

その点において、
ゴッホに対するタブーを破っている。
画期的な、そして挑戦的な映画と言えるのです。

■ ゴッホの見た風景 

本作の監督は、「潜水服は蝶の夢を見る」のジュリアン・シュナーベル監督。

「潜水服は蝶の夢を見る」は、かなり前衛的な映画でありましたが、
映像的にも、非常に「攻めている」感がありました。
そこを本作も引き継いでいる。

麦畑、糸杉、ひまわり畑、オリーブ畑など、
ゴッホが好んでモチーフにした風景を、
強烈な色彩で映像にしています。

ゴッホの作品は、ゴッホが見た通りに描いている!

彼が見えていた世界というのはも普通の人が見るよりも、
色彩が強烈に見えていたのではないか、という仮説の上で
本作が作られているのでしょうが、私はその仮説に全く賛成します。

まあ、10年以上前からそう考えていましたし、
過去のメルマガにも書いたかもしれません。

精神病者の認知というのは、
我々の常識を超えたものがあります。

症状風に言えば「視覚過敏」。
よく言えば「感受性が豊かで、強烈」ということです。

本作の変わった点は、
画面より下半分のピントがボケているような映像が多い
というところ。

非常に見づらい。
もちろん、意図的にこういう絵を撮っているわけです。

ゴッホの主観カット(その自分から見た視点のカット)ではない
映像においてもピンぼけが多々見られたが、
その真意は私には理解しかねました。

ゴッホの発作とか、もうろうとした意識と関係している部分もあったとは
思いますが、普通の精神状態のシーンにもピンぼけはありました。

いずれにせよ、普通の映画では決してやらない
冒険的な手法に挑戦しています(笑)。

そして、ゴッホ役のウィレム・デフォーが、
びっくりするほどゴッホにそっくりであり、
まさにゴッホになりきった迫真の演技をしています。
(自画像に描かれたゴッホにそっくり、という意味)

ベネチア国際映画祭コンペティション部門で、男優賞を受賞。

聖職者がゴッホに問う質問は、我々、
観客にもなげかけられているかもしれません。

私たちも、神から授けられた「才能(ギフト)」があるかもしれない。
しかし、それは容易に自覚はできないし、
才能として開花するのも時間がかかるかもしれない。

それでも、自分の「才能」を信じでやりきる自身がありますか? と。

本作品は、ゴッホについての予備知識を持っている人にとっては、
賛否両論、真っ二つに分かれるとは思いますが、
非常に「おもしろい」「興味深い」作品となるはずです。

『永遠の門 ゴッホの見た未来』樺沢の評価は・・・・・★★★★ (4・1)

追伸
上野の森美術館の「ゴッホ展」では、
ゴッホの「病」の部分にどこまで踏み込んでいるのだろうか?
ますます楽しみになってきた。

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