これを、1980年代映画に対するオマージュたっぷりの
単なる懐古的娯楽映画と見るのか?
それとも、
スピルバーグの私たちへの挑戦状と見るのか?
ちょっとした視点の違いによって、
全く違った作品に見えてくるに違いない。
スティーブン・スピルバーグ監督の
『レディ・プレイヤー1』。
娯楽映画として、文句なくおもしろい!!
VR(仮想現実)全盛の近未来の社会。
現実に幻滅した多くの人たちが、仮想現実のゲーム世界に逃避し、
ゲーム世界でのささやかな一攫千金をめざして、
仮想現実の世界につかりきっている。
主人公のウェイドもそんな一人である。
仮想現実世界「オアシス」の開発によって巨万の富を築いた
大富豪のジェームズ・ハリデーが死去し、
オアシスの隠された3つの謎を解明した者に、
運営権を明け渡すというメッセージが発信される。
ゲームおたくのウェイドは、ゲーム仲間と協力しながら、
現実の巨万の富とリンクした「お宝」探しにのめり込んでいく。
この映画の醍醐味、見どころは、
1970年代後半から、
1980年代に大流行した映画、音楽、ゲームなど
ポップカルチャーのオマージュ、引用、パロディが
随所に盛り込まれているところ。
『シャイニング』『エイリアン』『ガンダム』『ゴジラ』と
誰でもわかるものから、
『スタートレック』や『宇宙空母ギャラクティカ』。
そして、
『フェリスはある朝突然に』『ビルとテッドの地獄旅行』など、
こんな作品、よく覚えているよな、
というレベルの超マニアックな作品群が、次々と登場する。
あるいは、ハリデーがいつも着ている
「インベーダーゲーム」のTシャツに、
ゲーマーなら萌えるに違いない。
これをみて、「あー、懐かしい」で終わっては、
ただの娯楽映画で終ってしまう。
本作は、もはや娯楽映画の神様的な存在の
スティーブン・スピルバーグ監督である。
『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』はかなりディープで
深いテーマが込められていたように、
もっと深いメッセージが込められているに違いない。
さて本作でフォーカスされている、
映画、音楽などがポップカルチャーの全盛期
とも言われる1980年代。
なぜ、この時代がフォーカスされているのだろう。
それは、「最近の映画、音楽、ゲームなどは、
全てのパターンが出尽くしてしまって、
斬新なもの、アッと驚くようなものが、全く出なくなった」
という批判と対をなす。
2000年を越えてから、
IT技術の進化は目覚ましいものがあるが、
「ソフト」の部分。
映画のストーリー。
音楽のスタイル。
ゲームのプロット。
ここ20年で、ほとんど進化していないと言っていいほどである。
この「ハードの進化」と「ソフトの停滞」という
エンタメ業界に存在する、
「悩み」というか「限界」「壁」が、
そしてそれは、本作の監督、スティーブン・スピルバーグ
自身についても言えることで、それを一番自覚しているのは、
間違いなく、彼、本人と思われる。
スピルバーグの全盛的は、
『レイダース失われたアーク』(1981年)
『ET』(1983年)
あたりだろう。
私の映画マニアとしての全盛期でもあるから、
当然、これらの作品を同時代的に、
もちろん全て劇場で鑑賞してきたからよくわかる。
なんておもしろいんだ!
当時のスピルバーグは、神がかっていた。
手放しで楽しめる究極の娯楽映画を
スピルバーグは作っていた。
では、現在のスピルバーグはどうだろう。
『リンカーン』『ブリッジ・オブ・スパイ』
『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』
いずれも重厚で、見応えはあるが、
残念ながら映画史に残る作品ではない。
71歳にして、年1本のペースで映画を撮り続けるのは凄い!
という見方もあるが、
「1980年代、映画最盛期」の呪縛に、
スティーブン・スピルバーグ監督、その人なのである。
『レディ・プレイヤー1』は、スピルバーグの自伝的映画である。
映画のラストにみられる、ハリデーの子供部屋のシーン。
映画関連のおもちゃやゲームであふれる、
おもちゃ箱をひっくり返したような子供部屋は、
スピルバーグの子供部屋とそのままオーバーラップしてくる。
ちなみに、『ET』のエリオットと少年の子供部屋は、
スピルバーグの子供部屋をモデルに作られたと言われているが、
本作の子供部屋もそれと同じである。
スピルバーグは、ハリデーに自分自身を投影している。
仮想現実「オアシス」の創造主であるハリデー。
そして、エンターテイメント映画の帝王として、
ハリウッドに君臨してきたスピルバーグ。
スピルバーグにも、ハリデーのような、
一体、世界に何を残したのだろうという
ある種の虚無感が、あるのかもしれない。
【以下、ラストシーンについて書かれていますので、
映画が未見の方はご注意ください】
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ラスト間近のハリデーの子供部屋のシーン。
ウェイドは、ハリデーに「生きているの?」と聞く。
ハリデーは、生きていないというが、
そこに何か言外の意味があるように聞こえた。
ハリデー自身は死んだが、そのスピリット。
精神はウェイドに受け継がれた。
ということだろうか。
つまり、ハリデーの「スピリット」は、
ウェイドとともに、そして「オアシス」
これから、VRの時代が到来する。
映像の世界にも技術革新が来る。
自分には越えられなかった
「1980年代の呪縛」は、
これからの若いクリエイターが超えていけ!
超えるべきだ!
という、スピルバーグの強烈なる応援歌である。
あるいは、君たちに越えられるかな?
という、スピルバーグの挑戦状である。
一瞬、「スピルバーグの引退宣言」という考えが
脳裏をよぎったが、
「インディ・ジョーンズ5」も、さらにその後の作品も
準備が進んでいるようなのでそれはなさそうだ。
というか、「若者への応援歌」と見せかけながら、
「1980年代の呪縛」を超える作品を自分で作りたい!!
と思っているのかもしれない。
『レディ・プレイヤー1』は、
過去を懐かしむだけの懐古的映画ではない。
技術の進化と立ち向かい、技術の進化を追い風にして、
今までにない作品を作ってやろうじゃないか。
いや、作っていこうじゃないか、
というスピルバーグの、未来に向けた宣言と私は見た。
ということで、普通に娯楽映画としておもしろい。
ハリデー=スピルバーグという図式で見ると、
2倍楽しめる映画である。
樺沢の評価 ★★★★☆ (4・5)
追伸
もし、ハリデー=スピルバーグ説が腑に落ちないならば、
スピルバーグの自伝を読んで欲しい。
いろいろと腑に落ちるはずです。
『はじめて書かれたスピルバーグの秘密』
(フランク サネッロ著、学習研究社)
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