昨日、「滝行」に行って来ました。
家から2時間半以上かかる、とある山奥。
以前も滝行に行きましたが、前回は8月。
今回は、前回の数倍、厳しかったです。
午前中に入山したものの、
「行」についての説明や、
「お百度参り」などをしたので、
滝行は、14時過ぎとなりました。
朝に比べると気温は少し暖かくなっているものの
10度くらいでしょうか。
さて、私は師匠に次いで、二番手で滝に入りました。
水に足を入れた瞬間、「思ったより冷たくない」と思いました。
顔、胸、背中に水をかけて、桶で水をかぶる。
強烈な「冷たさ」に襲われます。
が、まだ何とかなる感じ。
滝に近づき、30秒ほど立っていますが、
まず冷たさが足に来ました。
足が、かじかむ。というか、足の感覚がほとんどない。
冷たいというよりも、「感覚がない」という感じで、
足の裏からの圧力の感覚がないので、
ふらつきそうで、怖かったです。
その後、滝の1番後ろの部分まで下がって、30秒ほど立ちます。
ここでは、体重を後ろの岩で支えられるので、
滝の水は身体に直撃するものの、
不安定感がなく、先ほどよりもやりやすい。
滝の冷たさは凄いけども、
水量そのものは前回の滝行ほどではなかったので、
「これならいけるか」という、ポジティブな感情も生まれます。
次は、水中にしゃがんで、2分間耐えなくてはいけない。
しゃがんだ瞬間に、強烈な冷たさに襲われますが、
もはや「冷たい」とか「痛い」という感覚を超えて、
「圧倒的な圧力」というか、「つらい」というか、
身体を保持しているだけで、たいへんという感じ。
「南無大師遍照金剛」と真言を唱え(叫び)続けるのですが、
真言に集中すれば、そのうち終わるだろうと、
真言を叫ぶことに集中。
1分を超えたあたりが、身体から熱を奪われるダメージが、
ボディーブローのように、ジワジワと効いてくる。
身体から熱が奪われ、頭からは滝の流水でさらに熱が奪われる。。
大声で叫んでいるつもりなのに、まず声が出ない。
そこで、気合いを入れて、大声で叫びます。
すると次の声が出ない。
体力が相当奪われて「やばい」なあ、と。
「大声」と「気弱い声」が交互になります。
それでも、私の前に師匠が滝行を終えているのを見ているので、
「まあ死ぬほどのことはないだろう」と
ポジティブなイメージトレーニング。
まだ、人のことが考える余裕があります。
その後、時間の感覚がなくなります。
異常に時間が流れるのが遅い。
むしろ、頭の中では「もうそろそろ終わるはずだけど、
ちっとも終わんないな」とか
「まあ、声を出しているうちは大丈夫だろう」とか、
「声を出すことで、熱産生できるんじゃないか」とか、
いろいろ考えが去来します。
前回の滝行では、雑念はあまりなく、
「無心」に近かったのですが、
何も考えないと「全身の冷たさ」と「圧力」と「ダメージ」
の方に注意が向いてしまい、むしろ何かを考え続けることで、
「冷たい」「つらい」を頭の中から、追い出すイメージ。
「もうそろそろ2分だろう」と思ってからが長かった。
「もうそろそろ2分だろう」と思ってから、
「南無大師遍照金剛」を10回以上唱えているので、
「もう2分」と思った時は、
「1分半」も行ってなかったのでしょう。
とりあえず、指導者の僧侶が手を差し伸べて
終わりの合図を見たときは、
「ああ、助かった」と思いました。
滝から出た後も、足が硬直して、うまく歩けない状態。
一方で、「やりきったぞ」という達成感。
命の危険を感じるようなことって、
人生でもそうそうありませんが、
今回の滝行はそうとうたいへんな体験でした。
これを乗り越えられたということは、
人生のかなりの苦難にも乗り越えていけそうな、
自信となりました。
滝行の動画は、コチラからご覧ください。
滝行を行いました。 以前はも滝行に行きましたが、前回は8月。前回の数倍、厳しかったです。 水に足を入れた瞬間、「思ったより冷たくない」と思いました。顔、胸、背中に水をかけて、桶で水を被る。強烈な「冷たさ」に襲われますが、まだ何とかなる感じ。 滝に近づき、30秒ほど立っていますが、まず冷たさが足に来ました。足の感覚がほとんどない。冷たいというよりも、「感覚がない」という感じで、感覚がないのでふらつきそうで、怖かったです。 その後、滝の1番後ろの部分に下がって、30秒ほど立ちます。ここでは、体重を後ろの岩で支えられるので、不安定感がなく、先ほどよりもやりやすい。 滝の冷たさは凄いけども、水量そのものは前回の滝行ほどではなかったので、「これならいけるか」という、ポジティブな感情も生まれます。 次は、水中にしゃがんで、2分間耐えなくてはいけない。 胸までしゃがんだ瞬間に、強烈な冷たさに襲われますが、もはや「冷たい」とか「痛い」という感覚を超えて、「圧倒的な圧力」というか、「つらい」というか、身体を保持しているだけで、たいへんという感じ。 「南無大師遍照金剛」と真言を唱え(叫び)続けるのですが、真言に集中すれば、そのうち終わるだろうと、真言を叫ぶことに集中。 1分を超えたあたりが、身体から熱を奪われるダメージが、ボディーブローのように、ジワジワと効いてくる。大声で叫んでいるつもりなのに、まず声が出ない。そこで、気合いを入れて、次に大声で叫びますが、すると次の声が出ない。体力が相当奪われて「やばい」なあ、と。 それでも、私の前に師匠が滝行を終えているのを見ているので、「まあ死ぬほどのことはないだろう」とポジティブなイメージトレーニング。まだ、人のことが考える余裕があります。 その後、時間の感覚がなくなります。異常に時間が流れるのが遅い。むしろ、頭の中では「もうそろそろ終わるはずだけど、ちっとも終わんないな」とか「まあ、声を出しているうちは大丈夫だろう」とか、「声を出すことで、熱産生できるんじゃないか」とか、いろいろ考えが去来する。 前回の滝行では、雑念はあまりなく、「無心」に近かったのですが、何も考えないと「全身の冷たさ」と「圧力」と「ダメージ」の方に注意が向いてしまい、むしろ何かを考え続けることで、「冷たい」「つらい」を頭の中から、追い出すイメージ。 「もうそろそろ2分だろう」と思ってからが長かった。 「もうそろそろ2分だろう」と思ってから、「南無大師遍照金剛」を10回以上唱えているので、「もう2分」と思った時は「1分半」も行ってなかったのでしょう。 とりあえず、指導者の僧侶が手を差し伸べて終わりの合図を見たときは、「ああ、助かった」と思いました。滝から出た後も、足が硬直して、うまく歩けない状態。一方で、「やりきったぞ」という達成感。 どんなにたへんなことも、なんとかなる。 命の危険を感じるようなことって、人生でもそうそうありませんが、今回の滝行はそうとうたいへんな体験でした。これを乗り越えられたということは、人生のかなりの苦難にも乗り越えていけそうな、自信となりました。
樺沢 紫苑さんの投稿 2020年3月7日土曜日
正直言って、泣きそうな顔をしているので、
あまり見ないで欲しい動画です。
まあなぜ、こんな荒行に挑戦するのか。
それは、「コンフォートゾーン」から出るためです。
『アウトプット大全』にも書きましたけどでも、
自己成長とは、イコール”「コンフォートゾーン」から出る”こと。
自己成長がないと、
私の場合は「つまらない本しか書けなくなる」でしょう。
常に「新しいもの」を取り込んでいく姿勢が、
“「コンフォートゾーン」から出る”こと。
今の状況、環境に安住してしまうと、
「情報をインプットする感覚」も鈍り、
「つまらない本しか書けなくなる」と思います。
「成長する」ということは、
「山を登る」ようなもので、
山を登るほどに見える風景も変わってくる。
結果として、アウトプットのレベルも変わってくる。
だから、
“「コンフォートゾーン」から出る”ことは必須であり、
わりと困難なことに挑戦する必要があるのです。
あなたは、「コンフォートゾーン」に安住していませんか?
追伸
「コンフォートゾーン」を出る!
その重要性や意味については、
『アウトプット大全』P202「チャレンジする」
で詳しく解説していますので、是非、読んでおいてください。
『学びを結果に変えるアウトプット大全』(サンクチュアリ出版)
【関連ページ】
前回の滝行の様子はこちらから。
人生初! 滝行を行いました
https://kabasawa3.com/blog/socialmedia/waterfall
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先生偉いな!
私は今度山登り挑戦してみようかな。
はじめまして。私は中川義寛と申します。中途障害者です。22歳の時脳内出血にて倒れました。今は51歳になりました。樺沢先生のYouTubeよく拝見しております。発病前、第2種情報処理技術者の資格を、発病後に福祉住環境コーディネーター3級の資格を取得しました。
今ケアカウンセラー目指し勉強中です。
尊敬しております。
今後ともよろしくお願い致します。