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私が精神科医になった理由

私には、
どうしても見直したい映画がありました。

その作品は、




『ドグラ・マグラ』(1988年、松本俊夫監督)。

先日、高画質のプロジェクターとサラウンド・システムを
「スタジオ・シオン」に導入し、
ホームシアターが完成したこともあり、
そこで見る、一本目の貴重な映画として
『ドグラ・マグラ』を34年ぶりに見直しました。

私は、「映画は劇場で見る」を基本としていますので、
大好きな映画も、一度しか見ていないものが多いのです。

映画『ドグラ・マグラ』の原作は、
探偵小説家、夢野久作の代表作とされる小説『ドグラ・マグラ』。
構想・執筆に10年以上の歳月をかけて、1935年に刊行されました。
日本探偵小説三大奇書に数えられます。

そして、何よりも「最後まで読むと発狂する!」という
噂もあるのです。

というと、そんなバカな・・・と思うでしょう。

しかし、
最後まで読み終えると、発狂しないまでも、
「狂気」の世界にドップリと浸ることは間違いありません。

何よりも、最後まで読み終えた人は、非常に少ない。

私は、今まで何度も小説『ドグラ・マグラ』を、
いろいろなところで紹介していますが、
私の知人で最後まで読了したという人は、
私の知る限り2人しかいません。

とりあえず、途中で挫折した・・・という人は、
数えられないほどいますが。

ネット検索しても、
「途中であきらめた」「最後まで読めなかった」
というコメントがたくさん出ています。

おそらくは、発狂しないように、
無意識がブレーキをかけるのでしょう。

ということで、
「最後まで読むと発狂する!」というのは、
まんざら「嘘」とも言えないのです。

さて、この『ドグラ・マグラ』は、
精神科医、樺沢紫苑にとって
非常に重要な映画であり、小説であるのです。

もし私が、『ドグラ・マグラ』を読んでいなかったとしたら、
「精神科医」になっていなかった、かもしれません。

「精神科医、樺沢紫苑」ではなく、
「内科医、樺沢紫苑」になっていた!
かもしれないのです。

つまり、樺沢が「精神科医になる!」ことを決定付けた映画であり小説。
それが、『ドグラ・マグラ』です。

今からさかのぼること、32年。
札幌医科大学、医学部6年生の夏(1990年)の出来事。

医学部を卒業してから、どの「科」を専攻するのか?

医学部では、3月に医師国家試験の受験があります。
その試験勉強に専念するために、
進路の決定は6年生の夏休みが終わるまでに決める人が多かったです。
(近年では、医学部卒業後、2年間の初期臨床研修が義務づけられており、
自分の専攻は、卒後2年後に決めます)

どの科を専攻するのかは、自分の自由意思です。

私は医学部に入学したときは、ごく普通の「内科医」を目指していたのですが、
臨床実習で内科やその他の科を回る中で、
データや検査中心で、患者の人間性とは正面から向き合わない
内科や身体科のあり方について、疑問を感じるようになりました。

カンファレンス(症例検討)は、データについて議論する場であり、
そこに「一人の人間」としての「患者」という観点は、
全くなかったのにガッカリしたのです。
これは、私が進みたかった道なのか・・・?

一方で、
初診患者の面接に1時間以上かけるのが普通の
「精神科」は、「人間と向き合う」仕事だな、と感じ始めていました。

内科に進むべきか? 
精神科に進むべきか?

人生を決める重要な決断。
夏休みは、もうすぐ終わります。

そんな矢先、気分転換に、お気に入りの書店をぶらついていると、
夏の角川文庫フェアが開催されました。

そこに並んでいた1冊の本が、光り輝いて目に入ってきたのです。

その本のタイトルは、





『ドグラ・マグラ』

約2年前(1988年)に、
その小説の映画版『ドグラ・マグラ』を見ました。

記憶喪失の主人公が精神科の閉鎖病棟の隔離室で目を覚まします。

自分は一体何者なのか?
自分は一体何をしたのか?
なぜ、精神科病棟に入院しているのか?

法医学若林教授。精神科の正木教授との対話を通し、
驚愕の事実が明らかにされるのです!!

とストーリーをシンプルにまとめてみたものの、
実際に映画を見ると、極めて入り組んだ、複雑なストーリーに
わけがわからなくなります。

見れば見るほど、わからなくなり迷宮に迷うような、
同じ道を堂々巡りさせられるような感覚にとらわれます。

そう、時間軸が過去と未来、あるいは「幻覚」「夢」?
を行き来する展開は、クリストファーノーラン監督の
『メメント』『インセプション』『テネット』を合体させたような、
作品とでも言いましょうか・・・。

ノーラン作品と言えば、時間軸トリックを巧妙に使う、
現代ハリウッド映画において、最も難解で巧妙なストーリーを作り出す監督
として知られます。

そんなノーラン監督に負けないほど、複雑で入り組んで、奇妙キテレツな小説が
1935年に書かれていた、というのですから驚きです。

映画『ドグラ・マグラ』を見た後、頭が混乱して、「これは原作を読まねば!」
と思ったものの、医学部の5年、6年というのは、
国家試験の勉強も始まり、多忙な時期でもあるので、
そのまま原作を読むのを、すっかり忘れていました。

私が「読みたい!」と思っていた本がここにあった。

書店に置かれた『ドグラ・マグラ』の表紙を吸い込まれるように、
本を手に取って会計を済ませます。
そして、家に帰って、一心不乱に読み始めたのです。

映画を見てよくわからない。
そこで、原作を読むと、細かい描写などが詳しく書かれているので、
映画の理解が深まる場合が多い。

しかし、『ドグラ・マグラ』は、真逆です。

小説を読めば読むほど、
訳が分からなくなってくるのです。

というか、
「読めば読むほど混乱する」
「読めば読むほど気が狂いそうになる」
というのが本作の最大の特徴であり、最大の魅力であり、
また夢野久作がしかけたトリックでもあるのです。

映画(小説)の冒頭に、「脳髄論」というものが登場します。

脳髄は「電話交感局」に相当する。
つまり、人間の意識や感覚、そして思考といったものは
全身の細胞それぞれが独自に行っており、
脳髄というものはただ単純に、
その細胞の意識や感覚を反射し交感する仲介機能を持つ存在に過ぎない・・

これだけでもわけがわからないのですが、
医学部5、6年の頃は、「心理学」「精神世界」の本に夢中になり、
それらの本を読みあさってこともあり、
卒業論文で「脳髄論」を書いた正木教授と、自分がオーバーラップしたのです。

心はどこにあるのか?

その問いかけは、精神医学に興味を持ち始めていた私には
非常に深く刺さりました。

ちなみに、天才なのか犯罪者なのか?
正気か狂気わからない、正木敬之(まさきけいし)教授。
「正気軽視」の当て字では、ないでしょうか?

『ドグラ・マグラ』、
物語の大部分は精神科病棟の中で展開します。

映画の舞台は、大正15年。
大正末期の閉鎖的な精神科病棟が見事に再現されている。

鈴木清順監督作品の美術を担当した美術監督、
木村威夫氏の力もあったでしょう。

大正末期の閉鎖的な精神科病棟が見事に再現されている。
と言いましたが、私は実物を見た事は無いのですが、
そう思わせる、すごいリアリティがあります。

そして、正木教授がはじめた先進的な「解放治療」の場面も衝撃的です。

精神病患者の「収容施設」でしかなかった精神病院が、
「治療の施設」へと変貌させるという。

今見ると当たり前なのですが、
大正15年に「精神病棟の解放」を描いたのは
画期的、先駆的と言えるでしょう。

さらには、
入れられたら死ぬまで出られない精神病院の恐ろしさを歌った
「キチガイ地獄外道祭文」。

スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ

全く意味不明な阿呆陀羅経の描写が、延々と数十ページ続きます。
(映画では短くまとめられて、本当によかった、笑)

阿呆陀羅経も、よく読んでいくと、
精神患者の閉鎖的処遇や精神患者への差別を
ユーモアたっぷりに、告発しているのです。

大正15年に書かれた『ドグラ・マグラ』には、
精神医療への風刺、そして未来予見までが描かれています。

本作の軸となる「心理遺伝」という考え方。

人間の行動は遺伝によって規定されるのか?
それとも、「環境」要因が大きいのか?
については、現在においても議論が多い問題です。

ちなみに現在では、PTSDのトラウマ体験は、遺伝子レベルで記憶される
という研究もあって、
「心理遺伝」は必ずしも空想の産物とは言えないのです。

『ドグマ・マグラ』は、複雑なストーリー、ミステリー、謎解きとして
楽しめる一方で、精神医療の過去の問題から、
現代にも通じる差別、スティグマ(烙印)の問題を
未来(予測)とともに、時間を超越して描ききった。

そして、精神疾患の深い闇。患者の苦悩。
そこに、救いはいなのか? という究極の問い!

『ドグラ・マグラ』を最後まで読んでも、映画を最後まで見ても、
「全く救いはない」と言う人も多いです。

しかし、私の感想は、全く逆です。

精神医療、精神疾患に、間違いなくダークな部分は多い。
そして、未知な部分、不可知な部分も多い。

逆を言えば、「改善の余地がたっぷりある」ということ。

そして、「脳の仕組みは、もっともっと解明されていく」という
学問としての無限の可能性を感じるのです。

精神疾患を治療していくのは、たいへんである。
そして、そう簡単には治らない。

だからこそ、私は「やってみたい」と思った。

精神世界には、謎が多く、どす黒い。
そこに触れると、治療者もメンタルがやられるかもしれない。
底なし沼のような、ドロドロした無限の世界。

そこに、少しでも「光」をあてられたら、
どんなに素晴らしいだろう!

小説『ドグマ・マグラ』の最後のページを読み終わった直後に、
私は思いました。




私が一生をかけて取り組むべき分野は、
「精神医学」しかありえない!

最後まで読むと発狂するという奇書『ドグラ・マグラ』。

私は発狂はしなかったようですが、
「狂気」に取り憑かれたことは間違いありません。

いや待てよ・・・。

情報発信で、メンタル疾患を予防する! 

日本のメンタル疾患患者を減らす!
日本の自殺者数を減らす!
と妄想的なことを言い続け、

8年間、毎日連続でYouTubeの動画を更新し、
かれこれ4.000本の動画を更新し続けている。

こんなことが、正気の人間にできるのでしょうか?

どうやら、『ドグラ・マグラ』を読み終えた私は、
たいへんな世界に足を踏み入れたことは間違いなさそうです。

そして、その「たいへんな世界」は、
私が『ドグラ・マグラ』と出会ってから34年間で、
少しずつ「光」が増えつつあります。

そこに、精神科医として私の情報発信が、
多少なりとも力になっている、
としたらいいのですが・・・。

追伸
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