書評/映画評

ランボー ラスト・ブラッド ~ランボーと父性の重要な関係

本日は、映画『ランボー ラスト・ブラッド』を鑑賞。
 
『父滅の刃』では、
最近は息子による父親探しの映画は激減し、
娘による父親探しの映画が非常に増えている、
と指摘していますが、
まさしく本作は「娘による父親探しの映画」。
 
そして、当然のことながら、父親はそこにはいない。

『ランボー ラスト・ブラッド』は、
ジョン・ランボーが、娘のように可愛がっていた、
ガブリエルの「父」になれるのか・・・という話。

私が心理学的に見ると、
父性不在の現在、
そう簡単に父親にはなれるはずがないわけですが、
必死に「父」になろうとする年老いた
シルベスター・スタローンを見ているのか、
なかなかつらい。

シルベスター・スタローンとアーノルド・シュワルツェネッガーは、
ハリウッドの肉体派俳優の象徴的存在。

それが、消え去りつつあるというところに、
「父性消失」のテーマがオーバーラップしているように見えるのです。

「ラスト・ブラッド」というタイトルにも現われているように、
ハリウッドに長く君臨してきた「力強い男性像」というものが、
スタローンの衰えとともに消えつつある、という。
 
そして決戦の舞台は「牧場」。
とうぜん、父性全盛時代の「西部劇」と
対比しているとしか思えない。
 
『アベンジャーズ エンドゲーム』『LOGAN/ローガン』と
全く同じテーマの作品と言っていい。
ハリウッドの「古い」何が終焉し、
新しい「何か」が来るのか、来ないのか。

その辺は、8月1日発売の拙著『父滅の刃』を読んでいただけると、
良く分かるのです。

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